ジャン=バティスト・ムスニエの人生は、約15年前に初めて日本を訪れた際に一杯のラーメンを平らげたことから、新たな方向へと向かった。
フランス出身のムスニエは、フランス空軍と宇宙軍に勤務した後、当時オマーン航空のパイロットとして働いていた。
その訪問を思い出し、ムスニエは、大幅に割引された航空券は仕事の特典だったので、日本行きのフライトを予約したと語った。
彼の主な関心は観光だったが、一杯のラーメンを食べることも彼の計画に含まれていた。
44歳のムスニエは、以前パリの日本食レストランでラーメンを食べたことがあるが、あまり感動しなかった。
しかし、彼は、本物のラーメンが噂通りの味なのかを知りたいという好奇心がまだあった。
東京に到着して間もなく、ムスニエは、濃厚な豚骨スープの豚骨ラーメンを提供する、観光客に人気のラーメン店を見つけた。
彼は、「非常においしい」スープに驚いたことを思い出した。
この経験が、ムスニエ氏のラーメンへの愛に火をつけ、彼は「ラーメン中毒」になるために、少なくとも年に4回は飛行機の搭乗業務の合間を縫って日本に「通勤」するほどになった。
ムスニエ氏は、東京や他の大都市だけでなく、日本各地で提供されている非常に多様なラーメンの伝統を味わうために出発した。
ムスニエ氏は妻と子供たちと一緒にレンタカーを借り、麺業界を知り尽くした日本在住のアメリカ人の知人が勧める田舎のラーメン店を回った。
ムスニエ氏はまた、どこに行くかを決める前に、日本の熱狂的なラーメンファンのブログを徹底的に調べて、自分でもリサーチした。
ムスニエ氏は、これらの外出中に約300杯のラーメンを食べたと見積もっている。
ラーメン作りの技術を学び、パリで自分の店を開きたいという彼の願望は、その過程でさらに強くなった。
アメリカ人の知り合いを通じて、ミュースニエは東京と大阪のシェフからラーメンの作り方を学ぶ機会を得た。
パリのラーメン店の内装をデザインするにあたって、ミュースニエは東京の古い築地市場の雰囲気をどうしても再現したいと考えていた。
東京湾に近い歴史ある市場は、ミュースニエが日本に来るたびに必ず訪れる場所の1つだった。
今も残っている場外市場には、卸売店や小売店が路地にひしめき合い、仕事に追われる労働者や新鮮な魚介類を求める群衆の喧騒の中で、特別な雰囲気を醸し出している。
場内市場では、巨大なマグロの競りが行われていた。2018年に閉鎖され、場所は2キロほど離れた豊洲に移転した。
「とてもユニークだったので、とても懐かしいです」とミュースニエは語った。「でも、パリでその精神の一部を残そうとしています。」
ルーブル美術館から徒歩5分の古いビルの1階に5年前にオープンした「こだわりラーメン築地」は、麺へのこだわりと築地市場への深い愛情の結晶だ。
カウンター席とテーブル席が30席以上ある店内には、築地市場の小物がずらりと並んでいる。市場名が入ったビニール袋、魚を入れる発泡スチロールの容器、手袋など。
それだけではない。競り人の掛け声や鐘の音、築地市場にいつもいたウミネコの鳴き声の録音がバックグラウンドで流れる。
彼の店の一番人気のメニューは、イワシと鯛のスープを使ったラーメン。麺は手作り。一杯2,200円相当(15ドル)。店の外にはいつも行列ができています。
この店には1日約650人の客が訪れ、市内でも人気のラーメン店の一つとなっています。