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ウェル・エイジングって何? アンチ・エイジングとは何が違うの?
ウェル・エイジング。
聞きなれない言葉ですね。
エイジングは、「老いること」。
ウェル・エイジングは、「よく老いること」です。
老いにはネガティブなイメージがありますが、そこにポジティブな意味を見いだそうとするのが、「ウェル・エイジング」です。
数か月前に、日本応用心理学会から、公開シンポジウムの講演依頼を受けたのですが、「ウェル・エイジング」という言葉を聞いたのは、このときが初めてでした。
「ウェル・エイジングって何?」という問いに、私なりの答えを考えて、先日のシンポジウムで講演しました。
シンポジウムでは、心理学や行動科学の専門家、高齢者を支える仕組みを作る起業家、緩和ケア医など、様々な立場の方々が講演し、それぞれの、「ウェル・エイジング」の考え方や取り組みを紹介しました。
そんな皆さんと議論する中で、このテーマの奥深さがわかってきました。「よりよく老いる」を考えることで、自分の気持ちがラクになり、未来が明るく感じられるようになることにも気づきました。
今回のコラムでは、私なりに考えた「ウェル・エイジング」を紹介します。ぜひ皆さんも、自分なりの「よりよい老い」を考えてみてください。
「病気」と「老い」の共通点とは?
私は腫瘍内科医で、普段は、がん患者さんとともに、「がん」という病気との向き合い方を考えています。この連載コラムで書いてきたテーマも、ほとんどが、病気との向き合い方です。
「老い」のテーマを与えられて、まず考えたのは、「病気」と「老い」の共通点でした。
仏教では、人間として避けることのできない四つの根源的な苦しみとして、「生老病死」という「四苦」があると言われます。生まれること、老いること、病を得ること、死ぬことの四つです。
「老い」も「病気」も、生まれた以上避けることができない必然であり、いずれは「死」にもつながっていくものです。生と死の間にある二つの苦しみ、「老い」と「病気」との向き合い方には、共通点がありそうです。
私が、がんとの向き合い方で大切にしているのは、
「がんがあっても自分らしく」
「気持ちがラクになるような考え方を」
「『マスト』ではなく『ウォント』を大切に」
といったことです。
これらの話を、「老い」に当てはめてみたところ、意外にすんなりとおさまることに気づきました。
そこで、シンポジウムでの講演のタイトルは、
「気持ちがラクになる『老い』『がん』との向き合い方」
とし、これまで、がんとの向き合い方として考えてきたことを、「老い」に置き換えて考えてみることにしました。
年を重ねても自分らしく生きる「ウェル・エイジング」
老いることは、けっしてネガティブなことばかりではなく、年を重ねても、自分らしく生きることができますし、むしろ、年を重ねることによって、人生を深めることができます。「ウェル・エイジング」というのは、それを目指す考え方です。
「自分らしさ」には、いろんな見方がありますが、「あるがままの自分でいること」は、大事な要素でしょう。他人の目を気にして、「○○でなければいけない」という「マスト」に縛られるのではなく、自分が本当にやりたい、一番大切にしたい「ウォント」に従うのが、「自分らしさ」や「ウェル・エイジング」につながるはずです。
アンチ・エイジングには無理がある
似たような言葉として、「アンチ・エイジング」がありますが、こちらは、老いにあらがうもので、「いつまでも若くいたい」「若返りたい」という多くの人の願望を実現しようとする考え方です。
「アンチ・エイジング」が自然に実現できればよいのでしょうが、われわれは、命ある生き物であり、時の流れとともに、年を重ねていくのが宿命で、「アンチ・エイジング」にはどこかで無理が生じます。
「アンチ・エイジング」では、「若いときのままの自分でいなければいけない」というマスト思考に縛られ、若かった頃の自分を基準に比較してしまいますので、「老い」も「病気」もネガティブなものにしか見えません。年を重ねていくごとに、「何かを失っていく」という感覚に陥りがちです。
これに対して、「ウェル・エイジング」は、老いゆく自分を受け止めた上で、年相応、あるがままに生きていくという考え方です。
宿命にあらがうのではなく、身をゆだねたうえで、「よりよい老い」を目指せるのではないか。「ウェル・エイジング」の出発点はそこにあります。
やりたいことを自分のペースでやり、やりたくないことは無理しない、というのが基本です。
できることには限りがあるかもしれませんが、うまく折り合いをつけながら、「ウォント」を見つけていく作業も楽しいものです。「年とともに人生を積み上げていく」感覚です。
老いは年を重ねてきた証しとして尊重すべきもの
運動や食事ががんに対してどのように影響するかというのは、皆さんの関心が高いテーマですが、運動や食事は、「老い」にも関係していると考えられています。ただ、運動や食事に気をつけることで老いるスピードを緩められるとしても、それが「マスト」であってはいけないと思っています。
苦痛に耐えながら、好きな食事を我慢しながら、老いにあらがおうとするよりも、老いを受け止めつつ、気持ちよく運動し、食べたいものをおいしく食べて、人生を楽しむ方がよいでしょう。
私は、腫瘍内科医として、小・中・高等学校での「がん教育」に力を入れていますが、がん教育で、子どもたちに伝えている大事なメッセージは、次の三つです。
(1)誰もががんになる可能性があるけど、がんになっても大丈夫な社会に
(2)治らないがんでも、幸せを目指すことができる
(3)大切な人ががんになっても、今までどおり普通に
がんだけでなく、「老い」についても学ぶ「エイジング教育」というのを想像してみました。もし「エイジング教育」をするとなったら、伝えるべきメッセージは次のようなものになるでしょう。
(1)年を重ねても、誰もが自分らしく過ごせる社会に
(2)生老病死は避けられないけど、それを受け止めながら、幸せな人生を
(3)老いは隠すものではなく、年を重ねてきた証しとして尊重すべきもの
これらは、子供だけでなく、大人にも必要なメッセージですね。
がんという病気には、過剰なイメージがつきまとい、がんそのものよりも、イメージでつらい思いをしている患者さんが多くいます。
同じように、「老い」についても、「恥ずかしくて隠すべきもの」といった、ネガティブなイメージがつきまとっていて、これが「ウェル・エイジング」を妨げる障壁になっているようです。
深く根付いたイメージを 払拭ふっしょく するのは容易ではありませんが、少なくとも、イメージで決めつけないように気をつけたいものです。
アンチ・エイジングからウェル・エイジングへ
ネガティブなイメージの強いがんは、他の病気よりも、「ゼロにしなければいけない」「ゼロにできなければ絶望だ」と思われる傾向があります。
「ゼロがん」の考え方ですが、治すのが難しい進行がんの場合は、「withがん」で考えた方がよさそうです。がんがゼロであるかどうかにこだわるのではなく、がんがあっても、「いい状態で長生きすること」「幸せを感じられること」を大事にする考え方です。
これは、「withコロナ」から学んだ考え方でもあります。コロナ禍の初期には、コロナを封じ込める「ゼロコロナ」が目指されていましたが、その後、コロナと共存して社会を動かす「withコロナ」の考え方にシフトし、コロナ禍を乗り越えました。
病気をゼロにしなければいけないという考えにこだわると、不安を招き、差別を生み、病気との共存が妨げられますが、病気との共存を受け入れれば、心の余裕が生まれ、支え合いの文化が広がり、病気があっても自分らしく過ごせる社会につながります。
同じことが、「老い」にも当てはまります。老いを避けたり隠したりするのではなく、老いと自然に共存することができれば、心の余裕、支え合い、成熟した社会につながっていくはずです。
「ゼロコロナ」「ゼロがん」から「withコロナ」「withがん」へのシフトと同じように、「アンチ・エイジング」から「ウェル・エイジング」へのシフトができれば、生老病死と向き合いながら、ラクな気持ちで、彩り豊かな人生を送れるのではないでしょうか。
生老病死の四つ目の「死」もまた、避けられないものですが、死があるからこそ、豊かな生があるわけで、自分の「死」についても、きちんと考えておく必要があるのでしょう。
老いや病気と向き合い、よりよく老いていく先には、「よりよい死」があります。あまり考えたくないことではありますが、よりよく生きるために、一度は想像しておいた方がよいと思っています。
ウェル・エイジングという言葉をきっかけに、考えたことを書き連ねてみましたが、人間の存在にかかわる哲学的なテーマだというのがわかります。
生老病死は「四苦」とされていますが、けっしてネガティブなだけのものではなく、それらときちんと向き合うことで、「よりよい生」や「幸せ」が見えてくるはずです。
私は、腫瘍内科医として、生老病死の現実を受け止めつつ、その中で医療にできることを考え、一人ひとりの幸せを支えていきたいと思っています。
これを読んでくださった方には、ぜひ、ご自身の、あるいは、社会全体の「ウェル・エイジング」を考え、身近な人たちとも語り合っていただきたいと思います。
みんなで、よりよく年を重ねていきましょう。
(高野利実 がん研有明病院院長補佐)
「日本人研究者」が「ジンベエザメ」の「眼球標本」を眺めていたら…なんと「世界初」の驚愕の発見が!
映画『ジョーズ』に登場した、巨大で恐ろしい人食いザメに代表されるサメのイメージ。流線型の体と長い背びれをもった、美しいシルエット。
どちらもサメの典型的なイメージだ。しかしそれだけではない。食卓に上るサケやサンマ、アジなどの硬骨魚類とはことなった軟骨魚類であり、もっとも長寿の脊椎動物であり、もっとも速く泳ぐ魚類の一つでもあるサメ。
その特異な生態をサメ研究の第一人者である著者らが詳細に解説する。また、硬骨魚類から分かれ、エイと分岐し、どのように現在の多様性をもつにいたったのか? さまざまな古代ザメを紹介しながら、その進化の道筋をたどる。
さらには世界初の人工子宮によるサメの繁殖を試みている美ら海水族館の研究者ならではの内容として、サメの繁殖にも1章をもうけている。
機能形態・生態・分類・繁殖と、専門的にかつ網羅的に解説した、類を見ない一冊。水族館でも最も人気のある魚種であるサメの総合解説書として刊行いたします。
鎧で覆われた目
まぶたや目を引っ込めるなどの方法で目を守っているサメたちだが、2020年、私たちはジンベエザメの目に関して、一つ面白い発見をした。
そのきっかけは何げないものだった。私は同僚の宮本圭氏と水族館の標本棚の片付けをしていた。標本棚には、貴重な生物標本のほかに、いずれ研究しようと思って忘れ去られた標本が並んでいる。プラスチック製の標本瓶の蓋には埃がかぶり、その埃にはカビが生えている。私たちはそんな標本を一つ一つ取り出しては、蓋をぬぐい、蓋に貼られたラベルを読み、しかるべき場所に収めていく。
その中に、「ジンベエザメ眼球」と書かれた瓶があった。中には、テニスボールくらいの大きさの目玉がホルマリンに浸かっている。瞳の部分には、カッターで大きく2本の切れ込みが入れられている。これは、中にホルマリンが浸透しやすくするための処置で、網膜を研究するために採集されたものであることがわかる。
ジンベエザメの目玉の入った瓶を手に取った宮本氏は、奇妙なことに気がついた。その白目の部分が紙ヤスリの表面のように小さい粒々に覆われていたのだ。その場で彼と一緒に標本を観察した私は確信した。この粒々は鱗だ。そして、これが新発見につながりそうな予感があった。
世界初の発見
その夜、自宅で脊椎動物の目玉の構造に関する論文を読み漁った結果、予感は確信に変わった。現時点で目玉に鱗が生えている脊椎動物は発見されていない。つまり私たちは「目玉に鱗を持つ脊椎動物」を世界で初めて発見したのだ――。
我々はこの標本を調べる過程でもう一つ面白い事実に気がついた。この目玉の鱗は、体の別の場所を覆っている鱗とは形が異なるようなのだ。我々は、この眼球を、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究者である甲本真也博士のもとに持ち込み、マイクロCTによる観察を依頼した。
この装置は、非破壊で、骨などの硬組織の微細な立体構造を観察することができる優れものだ。その結果明らかになった鱗の形状を見て、私は大喜びした。鱗の上の面には、分岐する「稜線」のようなものがあり、それが植物の葉の葉脈のような模様を描いているのだ。こんな鱗は見たことがない。たとえるならば、柏の葉っぱのような形といえるだろうか。
さて、この奇妙な形の鱗の機能はなんだろうか。この疑問へのヒントと呼べるものは、意外にもいまから50年ほど前に出版された一連の論文から見つかった。執筆したのは、有名なドイツ人進化生物学者であり、サメに並々ならぬ関心を寄せていたヴォルフ・エルンスト・ライフ博士である。
ジンベエザメは視力が悪いという言説
彼は、多様なサメの鱗の形状を、持ち主の生態との関連性から5タイプに分類しているのだが、その中で「耐摩耗型」の例として挙げられていたネコザメの体表の鱗のスケッチに私の目は吸い寄せられた。そこには、あの「柏の葉」の鱗が描かれていたのである。
彼のいう耐摩耗型とは、サメが岩などの硬いものに体を擦り付けた時に皮膚が傷つかないように守っている鱗のことを指している。鱗の表面が簡単に削れてしまわないように、表面に分厚いエナメル質と象牙質の層を持っているという特徴がある。
ライフ博士の論文にもとづき、私はジンベエザメの目玉の鱗は、不慮の事故から目の表面を守る「鎧」なのではないかと考えている。ジンベエザメの目は、幅広い頭部の両端についている上に、眼窩からかなり飛び出している。このいかにも容易に擦りそうな目をいかにして守るかというのは、彼らにとって重要な問題なのだろう。その結果、彼らが獲得したものが、目の表面を覆う鱗であり、先に述べた眼球を裏返し、引っ込ませる能力なのではないだろうか。
これらの発見は、ジンベエザメの視覚に関するある言説を払拭するものではないかと思っている。その言説とは、ジンベエザメは視覚が弱い生き物だということである。たとえば、ディズニー映画『ファインディング・ドリー』に登場するジンベエザメは、きわめて目が悪いキャラクターとして描かれている。
このようなジンベエザメの視覚に関するイメージは、おもに体に対する目のサイズの小ささに由来するものである。実際、彼らの眼球の直径は全長の1パーセントに満たない。
しかし、ジンベエザメが視覚にあまり頼っていない生物だという意見に、私たちの水族館の飼育スタッフは同意しないだろう。実際、ジンベエザメの目は良く動き、餌や飼育スタッフの動きを積極的に目で追っている。ジンベエザメは周囲の認識のために視覚をかなり使っており、そんな大切な目が傷つかないように、あの手この手で守っているように思われるのである。
なぜヒキガエルは昆虫のオスばかりを食べるのか?カエルの胃袋が語る、オスの犠牲が集団を救う逆説的な自然の算段
無駄にも見える行動に隠された生態系の合理的な仕組み、それぞれが自由に振る舞った結果として多様な関係が育まれる
花粉症の、季節。スギやヒノキの花粉が大量に飛散して私の目と鼻を執拗に攻撃する。毎年この時期は憂鬱になる。
あの空を黄色く染めるほどの膨大な量の花粉は人間を困らせるばかりでほとんどが無駄になっている。もちろん、これは自然選択の結果であって、大量に花粉を飛ばす個体がより多くの子孫を残してきたからにほかならない。
生態系には膨大な無駄が生じている。今回は生物が生み出す無駄とその無駄が及ぼす効果について考える。
ジャレド・ダイアモンドの『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』(草思社)にはインドネシア、アチェの狩猟採集民の男女の行動の違いが描かれている。
男性は狩猟に出かけても手ぶらで帰ってくることが多い一方、女性は毎日ヤシの実を割って確実にデンプンを取るので、結果としてカロリー供給量では男性を上回るという。
男性の狩猟は一見無駄で非効率な行動のように見えるが、男性は大きな獲物をしとめると村の人でシェアするので、村の社会の安定に寄与している。また、狩猟はパトロールを兼ねているとの説もある。
ヒキガエルに食べられやすいのはオスかメスか
昆虫のオスとメスでも印象的な思い出がある。ポスドク時代に調査していた三宅島ではヒキガエル(アズマヒキガエル)が国内移入種として侵入しており、夜ごとたくさんのヒキガエルが道路を歩き回っていた。
三宅島のアズマヒキガエル。2012年、宿舎前にて。(写真:筆者)
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彼らが何を食べているのか知りたくなって胃の中身を調べてみたところ、カミキリムシやコガネムシの残骸がたくさん出てきた。それらの多くはオスだった(図)。
ヒキガエルの胃内容の一部。コメツキムシやカミキリムシなど甲虫類が多くみられる。(写真:筆者)
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日本のカブトムシでも、メスよりもオスのほうが捕食者であるハシブトガラスやタヌキに多く食べられるという(Kojima et al. 2014)。
このように捕食者に狙われるリスクが高まる理由としては、昆虫のオスは交尾相手を探すために積極的に動き回るためだと考えられている。
集団の中でオスが多く犠牲になっても、生き残った少数のオスが複数のメスと交尾すれば次世代の数はそれほど減らない。一方、メスが減ると卵を産む個体が減るため、次世代の個体数も大幅に減ってしまう。
単純に考えれば、オスはメスを探そうとリスクを負っているわけだが、そのほかにもオスとメスの行動の違いには意味があるのだろうか。三宅島でヒキガエルを捕まえながらそんなことを考えた。
三宅島には東京竹芝発のフェリーで朝5時頃に到着する。(写真:筆者)
花の絶滅を防ぐオスとメスの行動の違い
昆虫のオスとメスの行動の違いの意味を、花と昆虫を調べた研究でも観察することができた。
ここで発見したのは、オスとメスの違いが花の絶滅を防ぐような影響をもたらしていることだった。
オスとメスのネットワークはいろいろな点で異なっているのだが、一言でいうとオスのネットワークはメスのネットワークに比べてランダムに近く、バラけている(Kishi and Kakutani 2020, Kishi 2022)。
東京大学弥生構内で調べてみると、下図のようにオスのネットワークの方が黒い点(観察された花と昆虫の組み合わせ)がバラけて広がっている。
花と昆虫のネットワークを昆虫のオスとメスで比較したもの。花(横軸)と昆虫(縦軸)の組み合わせを黒■で示しているが、メスのネットワーク(左)のほうがオスのネットワーク(右)よりも左上に集中している。(図:筆者)
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オスはあまり花を選んでいない一方、メスは訪れる花をえり好みしていることがわかる。
さらに、筆者はオスとメスを混ぜ戻したオリジナルのネットワークについて分析したところ、オスだけ、メスだけのときよりも花が絶滅しづらくなっていることを突き止めた。
オスは行き当たりばったりに花を訪れることで、メスが好まない花粉や花蜜が少ない花にも訪れて花粉を運ぶ。一方、メスは花粉や花蜜の多い花を選ぶのでそうした花はメスによって確実に受粉できる。
昆虫から見ると、多くのオスにとって花はメスを探すためのエネルギー補給となるのに対して、メスは花粉や花蜜の量によって残せる子の数が決まるという関係性がある。
このため、オスにとっては花粉や花蜜の量はそれほど問題にならないが、メスにとっては花粉や花蜜の多い花をしっかり選ぶ必要があるという違いがある。
ヒキガエルがオスばかり食べる理由
このことを花から見ると、昆虫のオスは低コスト低リターンな送粉者で、メスは高コスト高リターンな送粉者といえるかもしれない。
昆虫のオスは花粉や花蜜が少なくても来てくれるかわりに花粉を運んでくれる可能性は低い。一方メスは花粉や花蜜を多く用意しないときてくれないが、その分、花粉を運んでくれる可能性は高い。
このように、質的に異なる送粉者が混ざっていることで、結果的にさまざまな花の花粉が運ばれ、多様性が維持される。昆虫の生存が花によって維持されるとともに、昆虫が花を意識しているわけではなくとも結果的に花の受粉を助けている。昆虫の性差が花の絶滅を防ぐような効果をもたらしている。
前述のヒキガエルで考えると、昆虫のオスとメスの性差により、昆虫とヒキガエルのいずれの集団も急激に変動せず安定化する効果を生み出している。
もっとも性差がどのような意味を持ち得るのか、すべて理解するのは困難だ。ツユクサの雄しべにはニセモノと本物がある。鮮やかな黄色の雄しべに見えるものはニセモノで昆虫をだましていることがわかっている。
花と昆虫は常に与え合う関係ではない。花は昆虫をだますことがあるし、昆虫は花から蜜を盗むことがある。
このような性差が生態系でどのような意味を持つのかはいまだに明らかになっていない。性差はいまだに未知の部分が多く、それだけに奥深い。
ツユクサの雄しべにはニセモノと本物があり奥の鮮やかな黄色をした3本はニセモノで昆虫をだましている。(写真:筆者)
サボりがちなアリがいるほうがエサの探索行動は効率的になる
より掘り下げて考えてみれば、性差に限らず、多様な関係性があることは生存にとって重要な意味を持つ。実際、生態系の中に異なる関係が入り混じっているほうが安定化するという理論研究がある(Mougi & Kondoh 2012)。
例えば、アリのエサ探索行動を調べると、真面目な個体だけでなくサボりがちな個体が混じっているほうがエサまでの経路が短縮されて効率的になることが知られている。
生き物たちは互いを「助けよう」と意図しているわけではなく、それぞれが自由に振る舞った結果として多様な関係が生み出され、コミュニティを壊れにくくしている。
私たち人間が生きる社会もまた、多種多様な個人の行動が無自覚のうちにつながり合ってできている。地方に比べて東京などの都市部のほうが気楽だと感じる人が多いのは、都市部のほうが多様な個人を包摂しやすいからかもしれない。
それらの秘密を解き明かすことで、私たちはより暮らしやすい社会を構築できる可能性がある。
私が研究している生態学は「役に立たない」研究分野の代表格だが、生物の社会と私たちの実社会とをひき比べてつながりを見いだすことにも役割の一つはあるのだろう。
新宿御苑周辺でしかできない8のこと
老舗北京料理店から看板のないバー、フォトギャラリーまでを紹介
広大な芝生に四季を彩る花々、そして美しい庭園を持つ都会のオアシス「新宿御苑」。花見の名所としても有名で、春には多くの人でにぎわう。
自然に癒やされたら、周辺を散策して新たな魅力を発見しよう。老舗レゲエクラブやアナキズムをメインテーマにした雑貨屋まで、さまざまな顔を見せてくれる。新宿御苑周辺のおすすめスポットを8軒紹介する。
アジュラ
カフェ・喫茶店
新宿二丁目
Photo: Kisa Toyoshima
台湾出身のリウェイと妻のハルコが運営する、高田馬場の人気コーヒーショップ「リウェイコーヒースタンド(LIWEI COFFEE STAND)」の2号店「アジュラ(ajura、翹璹欏)」。内装は台湾の伝統的な神社や寺をコンセプトに、台湾製の情趣に富む雑貨や飾りを配し、香の匂いが漂う幻想的な空間だ。
一番人気のメニューは1号店同様、竹墨パウダーを入れ茶筅(ちゃせん)で点てたエスプレッソにミルクを注いで作る「ブラックラテ」。ここ数年で東京でもブラックラテを提供する店が徐々に増えてきたが、同店がその先駆けといえるだろう。同店では、焙煎(ばいせん)段階から色の濃さや味の良し悪しを判断している。
詳細情報
池林坊
新宿三丁目
画像提供:池林坊
新宿三丁目駅近くにある居酒屋。裏には系列の小劇場、梟門もあることから、演劇や映画関係者が集まり、演劇論で熱くなっている様子を見ることも多い。
店のカウンターは、屋台を模したオリジナル。よく見ると店内には街灯や電線もあり、野外で飲んでいるような気分になれるのも楽しい。
とにかくメニューが豊富だが、誰もが注文する名物は、蒸したての「ジャンボしゅうまい」。
詳細情報
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プレイス エム
アート
新宿二丁目
プレイス エム
新宿御苑駅のほど近くの雑居ビルにあるフォトギャラリー「プレイス エム(Place M)」。写真家の大野伸彦や瀬戸正人、中居裕恭、森山大道らが運営し、企画展のほか、スペースのレンタル提供も行っている。
同ギャラリーを主宰する瀬戸や森山など、大御所写真家の展覧会も開催しているが、若手による作品展も積極的に行い、プロやアマチュア、国籍問わず、作家が写真を発表する場となっているのが特徴だ。3階にある「メインフロア」と2階の「M2 gallery」で、それぞれ異なる内容の展示をしている。
貸し暗室も併設されており、モノクロとカラーともに24時間利用可能。不定期で開催される写真家たちによるトークショーや、ギャラリーで発行する写真集にも注目したい。
詳細情報
新宿御苑
Things to do
新宿三丁目
お勧め
Photo: Lim Chee Wah
世界有数の都心の公園として知られる、新宿のオアシス。もとは皇室庭園として造られ、戦後に一般に開放された。
敷地面積は約58ヘクタール。風景式庭園と整形式庭園、日本庭園が組み合わせれており、一年を通して四季折々の花で彩られる。
日本庭園内には、抹茶和菓子をセットにした、呈茶のサービスを提供する茶室を併設。晴れた週末に、新宿で時間を持て余しているのなら、東京のセントラルパークでピクニックをするしかないだろう。
開園時間は季節によって異なるので、訪れる際には事前に公式ウェブサイトを確認してほしい。なお、酒類の持ち込みと遊具類の使用は禁止されているので注意しよう。
詳細情報
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イレギュラー リズム...
TVerで歴代最高記録樹立! 『水ダウ』で好感度が高い“いじられ芸人”ランキングトップの人物とは?
3月3日に発表された「TVerアワード2024」で、4年連続でバラエティ大賞を獲得した『水曜日のダウンタウン』(TBS系)。2014年4月の放送開始以来、斬新で独自性の高い“説”や企画が評判を集め、幅広い世代に親しまれています。放送直後には、同番組がXでトレンド入りすることもしばしば。いまやTBSを代表する人気番組となりました。
芸人にスポットをあてた説やドッキリ企画が多いのもこの番組の特徴。出演をきっかっけにブレイクを果たした芸人も少なくありません。そこで今回は、「『水曜日のダウンタウン』でおなじみの“いじられ芸人”、一番好感度が高いのは誰?」をアンケート調査しました。
回答の選択肢は下記の9名。これらから1人を選び、回答してもらいました。(実施期間:2025年2月21日~2025年3月2日、回答数:58)
・ダイアン・津田篤宏
・ひょうろく
・パンサー・尾形貴弘
・みなみかわ
・きしたかの・高野正成
・チャンス大城
・クロちゃん
・コロコロチキチキペッパーズ・ナダル
・お見送り芸人しんいち
1位:ダイアン・津田篤宏 38%
見事1位に輝いたのは、ダイアン・津田篤宏でした。2000年に幼なじみの相方・ユースケとコンビ結成後、長らく大阪を拠点に活動していた津田。40歳を過ぎた18年に東京進出を果たしました。
番組内で一躍注目を浴びた企画といえば、やはり「名探偵津田」ですよね。23年1月25日に放送された「犯人を見つけるまでミステリードラマの世界から抜け出せないドッキリ、めちゃしんどい説」と題したこの企画は、ニセのロケ番組に呼び出された津田が、ミステリードラマの世界へ引きずり込まれるというもの。事件を解決するまでロケは終わらず、面倒くさそうにしぶしぶ事件を追うリアルな津田の姿が「めちゃくちゃ面白い」と視聴者の間で大きな話題を呼びました。
好評を博したこの企画は、第2弾、第3弾とシリーズ化し、昨年12月18日の「名探偵津田第3話 怪盗VS名探偵~狙われた白鳥の歌~」は、TVerの配信開始8日間の再生数としては429万回と、バラエティ番組で歴代最高記録を樹立。また、同番組の見逃し配信の累計再生数は、TVerで初となる2億回を突破し、MCのダウンタウン・浜田雅功は「津田の人間性が出てるんで、見ていただいてる方が面白がってるんじゃないかな」とコメントを寄せています。飾らない等身大の姿が、視聴者から支持を得ているのでしょう。
2位:ひょうろく 19%
2位にはピン芸人・ひょうろくがランクイン。細身のスキンヘッドで、鹿児島訛りが特徴的な彼は、この番組でブレークしたと言っても過言ではありません。
当時まだ無名だった彼がインパクトを残した企画として、23年7月26日に放送された「扮装状態でスタッフに撒かれたら一巻の終わり説」が挙げられます。ハクチョウの頭が股間部分から突き出たバレリーナの姿に扮装したひょうろくが、ロケ先の山奥で取り残されるというドッキリ企画で、番組に対しては「攻めすぎ」といった意見のあったものの、ハクチョウの頭を抱えて低姿勢でダッシュするひょうろくに「最高すぎる」「今年1番笑った」など絶賛の声が続出しました。
そんな彼の人柄が最も垣間見えたのが、今年2月19日から2週にわたって放送された「ひょうろく人間性最終チェック」。“兄の隠し子”という設定の男の子・ケンケンを預かることになったひょうろくは、ケンケンの教科書にいじめを連想させる落書きを発見。爪で削って消してあげたり、ハーモニカを吹いてエールを送るなど、優しい人柄が視聴者の感動を呼びました。ネット上では「人間性がすばらしい」「ひょうろくさんの企画また見たい」といった声が上がっており、今後のさらなる活躍に期待がかかります。
3位:パンサー・尾形貴弘 12%
3位に滑り込んだのは、トリオで活動するパンサー・尾形貴弘でした。いじられキャラとして知られる尾形は、いまや『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の常連に。毎年恒例の「1週間予告ドッキリ」や逆ドッキリシリーズ「ドッキリの仕掛人 どんなにバレそうになってもそう易々とは白状できない説」など、多くの爪痕を残しています。
中でもサイゾーウーマン読者の印象に残っているのは、21年11月24日に放送された「落とし穴に落ちたのに一向にネタばらしが来ないまま日が暮れたら正気じゃいられない説」でしょう。深さ3m超えの落とし穴に落とされ、長時間放置される様子を観察するというもので、何度失敗しても諦めずに脱出を試みる尾形の姿に視聴者が釘付けになりました。最終的には全裸になりながらも見事自力で脱出。これには「めっちゃ泣けた」「諦めない尾形さんカッコいい」といった声が相次ぎました。
ちなみに尾形は、名門・仙台育英高校のサッカー部で背番号10番を背負っていたほど、抜群の運動神経を持っています。スポーツマンだけに何事にも全力で取り組む姿勢が視聴者に評判のようで、今回のアンケートでも「ポンコツだけど素直でまっすぐ」といった声が上がっていました。
「ジブリ風」画像生成は問題? GPT-4o画像生成の利用爆発と課題整理
ChatGPTの画像生成機能が大幅機能アップ
3月26日、OpenAIは、GPT-4oの画像生成機能を大幅に改善した。ChatGPTで、画像生成が簡単に行なえるようになり、Plus/Proなどの有料版だけでなく、無料のChatGPTユーザーでも利用できる。
人気は急激に高まり、OpenAIのサム・アルトマンCEOは「GPUが溶けている」と利用拡大の様子を伝え、無料プランの利用者には「1日3回まで」という制限を加えた。
一方、特定の作品のタッチに似せた作品を作る流れが増えたりした結果、「生成AIを扱う時、どこに気をつけるべきか」という点が話題にもなっている。
今回は改めてその点を振り返ってみよう。
手軽かつ的確な機能で「利用爆発」
「画像生成を少し控えてほしい。これは度を超している。ぼくらには睡眠が必要だ」(can yall please chill on generating images this is insane our team needs sleep)
OpenAI CEOのサム・アルトマン氏はそうXにポストした。
彼がそうしたくなるくらい、GPT-4oの画像生成モデルの改良は大きなものだった。
重要なのは「指示に対して的確」であることだ。
美しい絵を生成するサービスは多々ある。一方で、目的に合う画像を作り出すには、色々とプロンプトを工夫する必要があるものも多い。
だがGPT-4oの場合、シンプルな命令でもかなり的確に「それっぽい絵柄」の画像を生成するし、その中に含まれる文字もかなり正確なものになった。
日本語を含めた4コママンガを生成。この絵柄でいいかは疑問があるが、文字も正しく生成されている
写真からイラスト調にする場合のクオリティも高い。筆者の写真に似ているかどうかはともかく、「日本人に馴染みやすい」という条件はちゃんとクリアーしているように思える。
筆者の写真を「日本人に馴染みやすいイラストで」生成してもらった。似ているかはともかく、イラストとしての質は高い
言い換えれば、今回のアップデートによる画像生成は、とにかく「簡単」なのだ。しかも、あまたある画像生成AIに比べ知名度も高い。
その結果として、多くの人が「なにかに似た画像」を作り、ソーシャルメディアにポストする例が増えた。
なかでも目立ったのが「ジブリ風のイラストにする」というものだ。サム・アルトマン氏も自らのサムネイルをなんとなくそんな風に見えるものに変えていたりする。
3月30日現在での、サム・アルトマン氏のサムネイル。たしかに「ジブリ風」
「○○風」のAIに問題はないのか
「ジブリ風」のように、あるテイストへと画像を変換することは、権利上問題ないのだろうか?
結論をいえば「単にイラストを作るだけなら問題ない」。
画風やアイデアは著作権で保護される対象ではない。それに、描く行為は誰にも止める権利はない。「それっぽい画像を作る」だけなら、誰かに咎められるものではないわけだ。何枚か公開したところで、それはファン活動の領域かもしれないし、個人的な創作活動でもあるだろう。そこに問題は発生しない。
この点は、文化庁が示している資料からも読み取れる。
描いたものの画風が似ているだけでは問題はなく、「類似性」と「依拠性(既存の著作物を参照して作品を創作すること)」の両方があってはじめて侵害の要件を満たす。